見たい景色だけを見たい、は必死に生きていることかもしれない

「見たい景色だけを見たい」というあり方は、
よくないことと捉えられがちかもしれません。

しかし、生きるために、
見たい景色だけを必死に選び取っていることもありうる、
と考えると、一概に否定できないように思います。

 


※iPhone7にて撮影

 

生まれてはじめて写真に意味を感じた

見たい景色だけを見たい、は必死に生きていることかもしれない。

それは、とある方の個展にて、
写真を眺めていて感じた示唆でした。

佐藤実治さんという、仙台のバイオリニストの方で、
35歳の若さで、突然の脳梗塞で倒れ、
身体も言葉もままならない状態になったそうです。

展示された写真は、
そのほとんどが
発病後に撮られたものとのことでしたが、
驚くのが、
撮りはじめたのが集中治療室を出られてまもなく、
そして、倒れてからものの数ヶ月で個展開催、というスピード感。

それだけに、表現ひとつひとつに、
「生」に対する生々しさを感じずにはいられませんでした。

 

そして、並べられた写真はどれも、
人の笑顔。

家族や友人たちとのことでしたが、
これでもかというほどに、笑顔が並んでいたのです。

生きがいであったであろう音楽を奪われ、
それどころか生活もままならなくなり、
悲しみや絶望が渦巻くであろう中で、
どういう思いで、笑顔ばかりを切り取ろうと思ったのだろう…
と想像すると、
それは、
大切な家族や友人たちの笑顔が希望であり、
生きるために、その希望だけを見よう見ようと、
ただ必死になった結果かもしれない、と感じました。

 

写真に対し、
これほどに、意味を感じさせられたのは、はじめての経験でした。

 

あえて「見たい景色だけを見る」

見たいものだけを見る。

 

一般的には、
いい部分ばかりを選り好んでおり、
客観的に物事を見ておらず、よくないことかもしれません。

しかし、
人間の本能として、やはり見たいものだけを見たいのです。

 

もちろん、冷静になって見つめなければならないことはあります。

ですが、正しさだけでは前に進めません。

私達は、いつだって順風満帆ではなく、
「死」を意識するほどのことはなくとも、
ちょっとつまずいたり、落ち込んだりすることはあります。

そんなときに、緊急避難的に、
あえて「見たい景色だけを見る」。

それで希望を見いだせるのなら、それもありなんじゃないか。

 

仕事柄、日々数字を突きつけられ、
逃げ場が無くなりそうな思いになるような瞬間もありますが、
ふと、そういう気持ちになりました。

考え方のヒントとして、参考にしたいものです。

 


編集後記

今日は終日資料作成。

週末は、東京勤務時代の元同僚と、
ひさびさの楽天観戦、
雨降りで、全席スプラッシュシート状態でした。

平石監督代行が
今季は育成に切り替えるような発言をしたようで、
来季に向けて、再スタートですね。

昨日の一日一新

長町 びすた〜り
※一日一新とは→こちら

飯塚 千隼

仙台初のWordPressブロガー税理士・公認会計士。
クラウド会計・Excel・ITを駆使して経理効率化。
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